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司馬懿 Three Kingdoms

最終更新: 2019年8月15日

中国ドラマ「三国志 Three Kingdoms」について書いてきた記事ですが、この辺で一区切りにしたいと思います。最後を飾るのは物語後半の主人公にして諸葛亮(孔明)の宿命のライバル司馬懿についてです。


この作品で司馬懿を演じるのは倪大紅(ニー・ダーホン)別名 倪大宏(中国語版Wikipediaより)。1959年生まれですので司馬懿を演じた時は50歳頃。曹操役や劉備役の役者さんよりも年上です。




倪大紅の演技は好評で日本語のレビューでも絶賛されていました。個人的には中国語の本人の声は甲高く、日本語吹き替えの佐々木勝彦氏の低く太い声の方が雰囲気が合っていたと思います。ただ倪大紅の演技も怪演には違いありません。


司馬懿の初登場は赤壁の戦いで曹操が敗北した時。登場の仕方はこの後登場する龐統の登場の仕方とかなり似ています。


作中での司馬懿は諸葛亮に匹敵する頭脳の持ち主で、荀彧以外の曹操の参謀団の活躍があまり描かれていないこともあって魏軍の中でもかなり重要な存在になっていました。己の本心を隠して身の処し方に注意を払いあまり警戒されないように努めている姿は後のクーデターの伏線になっているのでしょう。曹丕にも信頼され度々相談を受け、その都度的確な助言を与えています。静姝というオリジナルキャラの女スパイが登場しますが、僕は彼女は別に必要な役ではなかったと思います。しかしこの静姝役の女優は「項羽と劉邦 King's War」で虞美人を演じているので監督の高希希(ガオ・シー・シー)は重要な役と捉えていたのではないでしょうか。


司馬懿を語る上で諸葛亮の存在は欠かせないのですが、「Three Kingdoms」では司馬懿が主人公で諸葛亮は司馬懿の前に立ちはだかるラスボス的な立ち位置でした。三国志演義※1とは逆の構図です。この二人の戦いは決着が付かないのでどういう風に描くかは難しいところですが、諸葛亮が先に死ぬこととその後の描写を考えれば司馬懿目線で話を進めるのも悪くない演出でした。


※1 三国志演義・・・中国明の時代に書かれた、後漢・三国時代を舞台にした通俗歴史小説。正史(歴史書)三国志をもとにしつつも民間伝承や講談なども取り入れ「三国志」の普及に大きな役割を果たした。中国四大奇書の一つ。


ただ、「死せる孔明生ける仲達を走らす」の後に司馬懿が諸葛亮の敷いた陣形を見て「天下の奇才だ」と言う場面は正直カットしてほしくなかったですね。裴松之の注とはいえ一応正史にも載っている話ですし、1994年版の旧作では理由は違うとはいえ司馬懿が「奇才じゃ・・・奇才じゃ」と感心するシーンがあったので余計そう思いました。横山光輝の漫画三国志でも息子たちに「あの陣形を見てみよ。全て理に適っている・・・まさに天才。おそらく再び地上で孔明のような人物を見ることはあるまい」と語る場面もかなり感動的なシーンです。と書きつつも「Three Kingdoms」ではその後諸葛亮の陣内にあった木像の前で「孔明よ・・・なぜ逝ってしまったのだ・・・我々は敵同士だったが同時にお互いを最もよく理解した知己でもあったのに・・・」と語りかける場面にはうるっときました。


司馬懿絡みでは横山光輝の三国志で一度孔明の策により失脚しながら、第一次北伐で魏が危機に陥ると呼び戻される場面も大好きな部分です。物語でもセミリタイア状態だった司馬懿に視点が移り、司馬懿の二人の息子(司馬師、司馬昭)が初登場。ちょっと記憶を呼び戻して書きます。


司馬師・司馬昭「父上、どうしたのですか?落ち着かない様子ですが」

司馬懿「これが落ち着いていられるか。お前らは知らんのか?孔明率いる蜀軍が攻めて来て迎え撃った曹真殿は敗れ今や魏は滅びるかもしれんのだぞ」

司馬師・司馬昭「なあに。魏もそんなに見る目のない人達ばかりじゃないでしょう。近いうちに父上のもとに使者が来ますよ」

司馬懿「うん?私を慰めようとして言っているのか。孝行な息子たちじゃ」


数日後


魏帝の使者「司馬懿を蜀迎撃の総司令官に任ずる。謹んで勅命を受けよ」

司馬懿と息子たち「ははー」


使者が去った後


司馬師・司馬昭「ね、父上。言った通りだったでしょう?」

司馬懿「ははは、そうだな。だがのんびりしている暇はないぞ。時は一刻を争う。すぐに出陣の準備をせよ」

司馬師・司馬昭「もう準備は出来ております」

驚く司馬懿(我が家にも麒麟児が生まれていたか!)


ここに孔明が最も恐れる男、司馬懿仲達が再び戦線に復帰した。


こんな感じだったと思いますが、もの凄くアツい展開です。蜀軍は馬謖の命令違反もあり敗れますが「空城の計」で諸葛亮>司馬懿の描写があるのもいいですね。この空城の計は隋の歴史家裴松之は事実ではないと懐疑的ですが、物語としては面白い描写です。二人の息子のほうが司馬懿より優秀なのかとも思えてしまうのですが、後に司馬懿が息子を「兵法を知らぬ者は黙っておれ!」と叱りつける場面があり、司馬懿でないと諸葛亮には対抗出来なかったという描写だと個人的は思っています(横山三国志)。


脱線ついでに「Three Kingdoms」の司馬懿は忘れて史実の司馬懿について語りたいと思います。


史実では晋を建国した司馬炎の祖父で、正史三国志には立伝されておらず一貫して「司馬宣王」と書かれています。魏の司馬懿に相当する蜀の諸葛亮と呉の陸遜は君主以外で唯一独立した伝を立てられており、この3人は特別扱いです(特に司馬懿)。しかし司馬懿は他の人物の列伝や裴松之の注釈に度々登場するのでその人物像は想像しやすいです。

そこから浮かび上がる司馬懿像は相当冷徹で頭の切れる人物。諸葛亮と比較されるため、軍師のポジションなのかと思いきや、文官系の官位には生涯ついておらずむしろ驃騎将軍など武官系の官位を歴任しています。コーエーのゲーム「三國志」シリーズでもパラメータに統率がある作品では一度も統率力が知力を下回ったことはありません。

司馬懿の頭の良さを示すエピソードは数多いですが、公孫淵討伐の時の司馬懿は終始怪物ぶりを発揮しています。

まず遠い遼東で反乱を起こした公孫淵討伐を曹叡に命じられた時、平定にかかる日数と公孫淵がとってくる戦略、その戦略に対してどう戦うかを聞かれる場面。

司馬懿「往きに100日、戦闘に100日、帰って来るのに100日、休息に60日を与えれば一年以内に平定できます。」

曹叡「公孫淵はどんな戦術をとるだろうか?」

司馬懿「公孫淵にとって城を捨てて逃げるのが最高の戦術。川を利用して我々に対抗するのが次善の戦術。城に籠もるようなら生け捕りになるだけです。」

曹叡「公孫淵は城を捨てるだろうか?」

司馬懿「優れた知恵と勇気の所有者だけがそれを実行出来ます。公孫淵には到底思いつけることではありません」


また進軍中配下に孟達討伐の時との違いを聞かれた際の記述は戦争の基本にして極意ですが、ここでは割愛。


公孫淵を破り、追い詰められた公孫淵は使者を送って和睦を請います。この場面の司馬懿も凄まじいです。公孫淵が使者に王建という老人を送ってきても「お前は楚と鄭の故事※2を知らぬのか。私も魏帝より列侯に封ぜられた身。王建ごときに『囲みを解け』と指図される謂われはない。王建は耄碌して主命を伝え損なったのだろう。次はもっと若くて頭のよいものを遣わすように」といって王建をその場で斬り殺します。次に公孫淵が若い者を使者に立てて、人質を送り恭順する姿勢を見せても「戦いに五道あり。勝てるなら戦う、勝てないなら守る、守れないなら逃げる。 残る二つは降伏か死だ。貴様らは降伏しようともしなかったな。人質など無用だ」と言って公孫淵を斬ったのでした。このエピソードはとても好きです。司馬懿の賢さと冷徹さを象徴しています。ただ、その後遼東の15歳以上の男子数千人を殺して京観を築いたのは余計かもしれませんが。


※2 楚と鄭の故事・・・春秋時代小国の鄭が大国の楚に外交上無礼を働き、楚の侵略を受けて属国化させられたことを指すと思われる。


司馬懿は孫権にも「兵を率いては神の如し」と評されており、国力の差がありながらもこの司馬懿相手に互角の戦いを演じた諸葛亮もまた名将で後世の評価に影響しているのでしょう。司馬懿と諸葛亮はどちらが上かという議論は古来からありますが、最後まで蜀に忠誠を誓った諸葛亮と子孫が魏から国を奪った司馬懿は何もかも対照的です(この部分が人気を分ける要因だと思われる)。三国志演義ではかなり損な役回りをさせられていますが、天才諸葛亮のライバルに相応しい実力を持っていたことは間違いありません。




以上、「Three Kingdoms」の主要人物について長ったらしく書いてきました。物語で主役的ポジションの5人です。ほかにも呂布や呉の歴代都督、関羽・張飛・趙雲に荀彧などの記事も書こうかなと思いましたが、キリがないので「Three Kingdoms」関連はこの辺にしておきます。また三国志について書きたいことができたらまとめて書きます。どれだけ書いても思いつくことや書き忘れていたことが必ずあるので、語り尽くすということはありません。三国志以外でも中国史関連の記事は書いていくと思います。もちろんギターや音楽関連の記事も上げていきます。今後もこのブログをご愛読くださいませ。





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