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川端康成「みずうみ」について

更新日:1月21日

2023年1月22日高志の国文学館での「朗読と音楽の集い」も近づいてきました。この日朗読される川端康成の小説「みずうみ」について少し書きたいと思います。






今更説明の必要はありませんが川端康成(1899-1972)は日本の小説家、文芸評論家。1968年にノーベル文学賞受賞。代表作に「雪国」「伊豆の踊り子」など。


以下斜め文字はWikipediaの小説「みずうみ」の項より引用


『みづうみ』は、川端康成長編小説。川端の日本的鎮魂歌路線とは異質で、発表当初、好悪の分れる衝撃的な作品として受け取られ[1]、〈魔界〉のテーマが本格的に盛り込まれ始めた小説である[2][3][4]。気に入った美しい女を見かけると、その後を追ってしまう奇行癖のある男が、ある聖少女の美しい黒い目の中のみずうみを裸で泳ぎたいと願う物語。様々な女性への秘めた情念を、回顧、現実、妄想幻想などの微妙な連想を織り交ぜた「意識の流れ」で描写し、「永遠の憧れの姿」に象徴化させている[1]現代仮名遣いでは『みずうみ』表記だが、原題のまま論じられることが多い[5]


僕はこの小説をデュオ無双北陸コンサートツアーの魚津公演と小松公演の間の時期に2日ほどかけて読みました。


小説の文章にはいろいろな解釈があるかと思いますが、最初読んだ時にはっきりと自分の解釈が生まれた部分があります。


斜め文字は新潮社版の文庫本91ページ10行目より引用


まだなまあたたかい鼠の死骸、目をむき口から血をたらした鼠の死体を握った触感がよみがえったからでもあった。みずうみのほとりのやよいの家に、日本テリヤがいて、台所で取った鼠だった。犬は鼠をくわえたものの処置に迷ったらしく、そのまま突っ立っていて、やよいの母がなにか言って頭をたたくと素直にはなした。しかし鼠が板の間に落ちると、また飛びかかろうとする犬を、やよいが抱き上げて、「よし、よし。えらいわねえ、えらいわねえ。」となだめた。そして銀平に命令した。

「銀ちゃん、その鼠をどけてちょうだい。」

 銀平があわてて鼠を拾うと、口から出た血が板の間にひとしずくほど落ちていた。鼠のからだの温かいのが気味悪かった。目をむいていると言っても、鼠の可愛い目だった。

「早く捨てて来てちょうだい。」

「どこへ・・・・・・?」

「みずうみがいいわ。」

 銀平はみずうみの岸で、鼠のしっぽをぶらさげて力いっぱい遠く投げると、闇夜のなかに、とぼんとさびしい水音がした。銀平は逸散に逃げて帰った。やよいは母の兄の子じゃないかと、くやしくてならなかった。銀平は十二か十三だった。鼠におびやかされる夢をみた。


上にあげたYouTubeの動画でもこのシーンがあります。銀平は主人公である桃井銀平。やよいは銀平のいとこで銀平の初恋の相手。

この「銀平はみずうみの岸で、鼠のしっぽをぶらさげて力いっぱい遠く投げると」の部分は銀平がいとこやよいへの恋心を捨てた、もしくは断ち切った暗喩ではないかと思いました。そうなるとやよいへの恋心を鼠の死骸に例えているわけで、いとこやよいへの恋心がそれだけ気味悪い、醜いものであるという解釈です。その前述の鼠の死体の気味悪いという描写がそれを裏付けているような気がします。


似たような見方で同じような解釈ができる場面があります。物語終盤で40歳前くらいの長靴をはいた街娼と知り合い安酒場で酒を飲むシーンです。


同175ページ4行目途中より引用


蛍狩りに美しい町枝を見たのが夢現で、安酒場にみにくい女といるのが現実だと、今はしなければならないのだが、銀平は夢幻の少女をもとめるためにこの現実の女と飲んでいるような気もしていた。この女がみにくければみにくいほどよい。それによって町枝の面影が見えて来そうだった。

「君はどうしてゴム長をはいてるんだ。」

「出がけに、今日は雨だと思ったのよ。」と女の答えは明快だった。ゴムの長靴のなかの女の足を見たい誘惑に銀平はとらえられた。女の足がみにくかったら、いよいよ銀平にふさわしい相手だったろう。


 (中略)再び177ページ13行目途中より引用


ただゴムの長靴のなかの女の足を見たいという誘惑が動いていた。しかしそれも銀平にはもう見えているようだった。女の足指は銀平のように猿みたいではないが不恰好で、茶色っぽい皮が厚いにちがいなく、銀平と二人で裸の足をのばしたところを思うと嘔吐を催しそうだった。


この描写は単にゴム長靴をはいた女の足を見たいという欲求だけでなく、ゴム長靴の女が隠している部分を見たい、つまり内面や素性を知りたいという比喩だろうと思います。主人公銀平の足は甲が厚く黒ずみ、猿のように醜いという設定なのでゴム長靴の女は自分にお似合いだと銀平は思うのですが、「女の足指は銀平のように猿みたいではないが不恰好で、茶色っぽい皮が厚いにちがいなく、銀平と二人で裸の足をのばしたところを思うと嘔吐を催しそうだった」ため銀平は結局この女と別れます。つまりこの女も銀平のような性格だったら(隠している内面上の問題点があるなら)嘔吐を催すほどひどいのでやめたということです。※個人の感想です。


このように解釈すれば当然銀平の足が醜いという設定も普段隠している部分、表面的に見てもわからない部分が実は醜いということ、つまり銀平の尾行癖(ストーカー気質)を表しているのでしょう。※個人の感想ですがここはほぼ確定ではないかと思います。


かなり国語の教科書のような解釈になってしまいましたが、Wikipediaやブログでこの小説を読んだ感想を書いていらっしゃる方でここに触れている方がいなかったので独自の見解を書いてみました。こんな描写の読み取りなどは小説を読まれる方にとっては常識で当たり前すぎて触れるほどのことでないのかも知れませんが。この解釈を軸に町枝や他の登場人物の人物像を考えたり、ゴム長靴をはいた女との対比などまだまだ発展させられそうです。まだ他にも三島由紀夫のこの作品の解釈だったり、なぜ川端康成は出版にあたって連載で載せていた物語最後の部分を削除したかなど考察したいことはたくさんありますがひとまずこのへんで。1月22日高志の国文学館での「朗読と音楽の集い2022」はすでに申し込みが定員に達しているようですが、2月27日まで高志の国文学館では川端康成展を開催中です。観覧料は一般500円、大学生250円、前売り一般400円、開館時間は9時30分~18時(観覧受付は17時30分まで)、休館日は毎週火曜日、2月13日(月)、2月24日(金)(高志の国文学館ホームページより)です。興味がある方は是非1度訪れてみてください。





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