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yusuke-jimbo

音楽夢工房でのコンサート終了しました

2022年7月10日富山県朝日町の音楽夢工房でのコンサート終了しました。

音楽夢工房は月に1度のペースで音楽関連のイベントを開催しています。コロナ以前は県外ときには国外からも演奏会を聴きに来る人もいたそうですがコロナ以降は人が集まりづらくなったとのことでした。今回は来場者も多くほぼ座席が満席になったようでうれしい限りです。主催の加藤先生、共演してくださった松浦さま、聴きにきてくださった皆様、お手伝いの皆様に感謝申し上げます。


今回は声楽との作品が自編、ギター独奏はバッハとアルベニスだったので全プログラムが編曲作品でした。



自編のドビュッシー「美しき夕べ」ギター伴奏譜


楽譜浄書ソフト使ったほうが速く見やすく作業も楽なんでしょうがいまだに手書きでやっているアナログ人間です。編曲中にいろいろ考えたり前後の流れを吟味して運指を付けたり楽譜に書いているので手書きのほうが頭に入りやすい気がします。


昔はオリジナルに書いてある音を省略したりオクターブ変更するのにかなり抵抗がありましたが今はギターできれいに響けばいいという感じで結構妥協するようになりました。


むしろ必要な音とそうでない音を判断して取捨選択し、ギターの技術的制限の中で音楽を再構築(まさに編曲)する方に楽しみを覚えるようになりました。弾きやすさや美しく響くことに重点を置くと、編曲作業が大変なわりに出来た楽譜はかなり従来のギター曲っぽくなってますが。基本的にはフルートとの曲を編曲する際もこの要領でやってます。やはりピアノの変わりとかカラオケ扱いではなくギターならではの響きや世界を作ることが大事かなと思います。写真の楽譜では運指の都合上絶対に伸ばせない音もピアノ譜の音価で書いてある箇所がありますが。


佐々木忠先生に習っている頃、佐々木先生があるギタリストの編曲について「オリジナル作品もそうだけど、音が多くて難しくしすぎている。達人の域に達するほど音は少なくなっていくものだ」と言っていたことを思い出しました。音を省略しすぎるのも良くないしどうしても「あの音もほしい、この音も外したくない」となっていくのも分かるんですが、難しい編曲や音が多い作品を弾きこなす演奏技術とギターのために書かれたわけではない作品をギターのために生まれ変わらせることのできる音楽的頭脳、センスというのはまた別です。


今回弾いたアルベニスのアストリアスも原曲はト短調ですがギターで弾く際は大抵ギター向きなホ短調に移調されます。共演した松浦さんも「ギターが先でピアノ版は無理やりギター曲をピアノで弾いているのかと思ってた」と言われたほどですし、正直この曲に限ってはギターのほうがいいんじゃないかと思っていますがオリジナルがト短調だからとト短調で弾くことにこだわっていればあの名編曲は生まれなかったでしょうし、ここまでギターで愛奏されることになっていたかは疑問です。もちろんこの曲は大変な成功例ですが、安易にギターで弾きやすい調に移調することによってオリジナルの世界観が壊れるということもあるので編曲は大変難しい問題ではあります。伴奏の場合は相手によって移調するのか、原調で弾くのかはほとんど決定事項なので調選択に頭を悩ますことは少ないですが。




閲覧数:94回2件のコメント

2 Comments


Enrique Cerezo
Enrique Cerezo
Sep 11, 2022

手書きは手書きの意味がありますね。むしろ貴重です。

ノーテーションソフトではどうしても無機的になってしまいます。

この頃は出版譜でも,ノーテーションソフトで書いたであろう,変な譜割りや音符の音価と旗が合わず気に入らないものがあります。移調したり,スコアとパート譜を作る様な,機械的な作業は効率的で良いと思いますが。


アルベニスの譜面はピアノというよりもギターですね。ギターの音形をピアノで模倣したというところなので,ギターに戻す?のは割と容易で,調性さえ合わせれば弾きやすいものになります。アルベニスやグラナドスはピアノでは上級曲で素人は手が出せませんね。ファリャに関して言えば,オケでギターの音形を模したとも言えるのではないでしょうか。


ギターはスペインの民族楽器の様な捉えられ方ですし,スペイン人と言え,一般作曲家は弾けないですから,得意のピアノやオーケストラでギターのサウンドを真似るという事を盛んにしたのでしょうね。ファリャは「ドビュッシーの墓」が唯一オリジナル曲ですが,これをピアノ版にもオケ版にもしています。全音のリョベート版の解説で小船幸次郎は「それほど力を注いだ作品ではなかったかもしれないが〜」と書いていますが,私はそんなことは無くて,かなり気に入り気持ちを込めた作品だったのではないかと思います(そうでなければわざわざピアノやオケにまで編曲しないでしょう)。


アルベニスやグラナドスはピアノでスペインの表現をしましたが,それなりの環境と機会があれば,ファリャやトゥリーナの様に,ギターの曲も書いたのではないかと思います。ドビュッシーやラヴェルもフランス人ですが,半分スペインの様なもの。実際ドビュッシーは(真偽の程は定かではないですが)ギターに興味を持っていて,リョベートに相談したところ,無理だから止めろと言われたそうですので。


調性の課題は,ギターの切実なところですね。カポタストなしで半音ズラせなんて気安く言われたら堪らないですね。

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yusuke-jimbo
Sep 12, 2022
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Enrique Cerezo様


コメントありがとうございます。


編曲譜を手書きで書くのは読みやすさの面もありますが、実際に楽譜を見て演奏するとなると譜めくりを出来るだけしたくないという事情もあります。ピアノは2段で書くのとページの余白が結構あるため、ギターパート譜だと2ページで収まるものも6ページとかになってしまいます。最近はなるべく少ないページに収めようと音符を小さく書いたり1段にたくさんの小節を詰め込んで書いたりしますが、最近は視力が低下してたまに読み間違える危険もあるため大きく見やすくきれいに書くことも大事だと気づかされました。


ファリャの「ドビュッシーの墓」はギターを弾かない大作曲家によるオリジナルギター曲の嚆矢となった作品ですが、当然ギター曲を書くからにはギターの音域や奏法、性能を研究とは言わないまでも予習したと思います。作曲家本人がギター独奏で書いたものをオーケストラに編曲した例はマルタンの「4つの小品」やウォルトンの「5つのバガテル」などが思いつきますが、やはり作曲者本人はその作品を気に入っていたり思い入れがあったのでしょう。


ドビュッシーとリョベートの話は始めて知りました。ラヴェルやドビュッシーのフランス近代のピアノ曲も、聴いていてとてもギター的だなと思うことがあります。もし彼らが本格的なギターオリジナル曲を書いていたら、演奏不可能な箇所はたくさんあったでしょうがギターにとって素晴らしい財産になったのにと思います。

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